平成から新しい年号「令和」を迎えた5月1日以降、令和の文字がラベルを飾る、さまざまな日本酒が発売されてきました。新しい時代の幕開けを祝おうと、またその話題性にあやかろうと、いったいどれだけの“令和”ラベルの日本酒が登場してきたことでしょう。
しかし、それらは何をもって“令和”を謳っていたのでしょうか?
それらは単に“令和時代になって発売された”日本酒なだけではないでしょうか?
導き出したその答えは、第一に令和に仕込まれ、令和に絞られた日本酒であること。さらに専門的にいえば、日本酒の酒造年度が切り替わる令和元年7月1日以降に造られた、令和元年BY(ブリュワリーイヤー)の日本酒であることでした。(※平成30年7月1日~令和元年6月30日に造られた日本酒は平成30年BYになります)そして、日本酒が“お米のお酒”である以上、古米(平成の米)ではなく、“令和に栽培されたお米”で仕込まれるお酒こそ、真の“令和の日本酒”を名乗るべきではないかと、考えたのです。令和に仕込み、令和に絞り、令和元年BY。さらに、原料であるお米にまで令和を追求した、まさに令和を名乗るにふさわしき日本酒。それが 「REIWA NOUVEAU」なのです。
この 「REIWA NOUVEAU」をいち早くみなさまに届けるために、まず原料となるお米にこだわりました。選んだのは、長野県が生れ故郷となる美山錦。日本では、酒米の王様である山田錦、五百万石に次ぐ生産量を誇り、ほかの品種に比べて早く稲が成長する早稲種に分類される酒米です。一般的には、10月に刈り取られる酒米ですが、美山錦は9月の中旬には収穫でき、乾燥されたのち10月の頭には酒造りをスタートすることができます。つまり、通常の酒米より1ヶ月ほど早く酒造りに取り掛かれる酒米ということになります。
「REIWA NOUVEAU」をどこよりも早く。その気持ちがあるのは確かですが、ただ、収穫が早ければどんな酒米でもよかったわけではありません。収穫時期の早さだけを問えば、美山錦より成長の早い極早生種の酒米もあります。それでも『オンワード・マルシェ』が美山錦を選んだのは、まさに酒米の特性に惚れ込んだからでした。新時代にふさわしい日本酒とは、どんな味かを考えたとき、それはどっしりとしたコシのある酒でも、米の甘みが全面に主張する酒でもありませんでした。新時代を彷彿とさせるような華やかで上品な味わいこそが、「REIWA NOUVEAU」のイメージ。その性質から、スッキリとした淡麗な味わいの日本酒ができることでも知られる美山錦は、まさに「REIWA NOUVEAU」が目指す酒のイメージにピタリと当てはまる酒米だったのです。
その美山錦という酒米を活かすも殺すも、もちろん作り手次第。どんな酒蔵でもいいから、醸せばいいわけではありません。日本には1400以上とも言われる酒蔵が存在し、そんな中からベストの選択をするのはまさに至難の技。しかし、『オンワード・マルシェ』は、幸運にもひとつの酒蔵と出会うことができたのです。それが埼玉県毛呂山町にある『麻原酒造』でした。『麻原酒造』は、1882年(明治15年)に創業した500石に満たない小さな酒蔵。日本酒を柱としつつも、その技術をいかし、地元の産物などを使ったリキュールやクラフトビールなど、さまざまな酒造りを行う総合酒造としても知られています。
その革新的な取り組みは、本業である日本酒造りにも活かされ、ここ20年ではさまざまな試みに挑戦を続けてきました。たとえば、日本酒の香りに特徴をもたせるべく10年ほど前に始めたのが、自家培養酵母の研究。一般的には“協会系酵母”という、日本醸造協会で頒布している酵母菌を使って酒造りを行うことが多い日本酒業界において、『麻原酒造』は自らの酒蔵で培養した酵母を使って酒造りを行っています。そして、その自家培養の酵母は、日本酒に華やかな香りを引き出す特性を持っていました。それは「REIWA NOUVEAU」のイメージ通りの酵母でもあったのです。
さらにいえば、『麻原酒造』は、今や日本酒業界でも当たり前となったスパークリングや、甘めの低アルコール酒なども、15年以上前に着手してきた革新的な酒蔵でもあります。ただ、当時は時代が早すぎたため、世の中に受け入れられることはありませんでしたが、現在、瓶内二次発酵や低アル酒が日本酒界で広く受け入れられていることを考えれば、その感覚が間違いではなかったことは、疑う余地はありません。むしろ、そのチャレンジスピリットは『オンワード・マルシェ』の精神とまさに一致するものでした。一方で、『麻原酒造』が創業から受け継いできた、酒造りで大切にしているモットーにも共鳴しました。それは、初代・麻原善次郎の詠んだ歌にこう綴られています。「近江やに名高き松の一本木、先から先へと開くさゝ浪」心をこめて人に喜ばれる酒造りをしていれば、人から人へ「さゝ浪」の如く、世の中に伝わっていく。近江から上京し、9歳で東京・青梅の酒蔵へ奉公入り。そして、29歳で現在の場所に酒蔵を創業した際に初代が詠んだ歌は、いまの『麻原酒造』の酒造りの礎にもなっています。
心をこめて人に喜ばれる酒造り。その証拠は『麻原酒造』の蔵を訪れると、至る所で確認できます。たとえば、仕込室。ここは、醪造りの仕込みタンクと絞ったお酒を貯蔵するタンクが並ぶ部屋。本来であれば、タンクの上から櫂入れをする醪造りでは、作業しやすいように櫓が組まれていることが一般的。この櫓に登って作業するだけで、蔵人の労力や負担は軽減されるのです。しかし、『麻原酒造』にはその櫓が組まれていないのです。なぜか。それは、タンクから直にお酒を瓶詰めするためなのです。タンクのまわりに櫓を組めば、足場にスペースを奪われ、その直汲みができなくなってしまうのです。「タンクにチューブを繋ぎ、ほかの場所で瓶詰めしていく方法もあります。それが一般的なやり方かもしれません。けれど、大切に作ったお酒ですから、ほんのわずかでもチューブを通すことによって、余計なゴムの匂いをつけたくないんです」若き杜氏、糸魚川有紀氏は力を込めます。これが麻原酒造の酒造りに対する矜持なのです。さらに、火入れを行う際も、瓶詰めしたまま湯煎して温める瓶燗火入れを実施。手間のかかる手法ですが、「少しでも品質を落としたくない」という、酒の味にこだわる『麻原酒造』の哲学がそこには宿っているのです。スッキリと軽快な味わいの美山錦を使い、華やかな香りを引き出す酵母を使い、酒造りに対しどこまでも実直な酒蔵が醸す日本酒。そうして醸されたお酒こそ、『オンワード・マルシェ』が考えた“令和”を冠するにふさわしい日本酒であり、「REIWA NOUVEAU」のあり方なのです。
通すことによって、余計なゴムの匂いをつけたくないんです」若き杜氏、糸魚川有紀氏は力を込めます。これが麻原酒造の酒造りに対する矜持なのです。さらに、火入れを行う際も、瓶詰めしたまま湯煎して温める瓶燗火入れを実施。手間のかかる手法ですが、「少しでも品質を落としたくない」という、酒の味にこだわる『麻原酒造』の哲学がそこには宿っているのです。スッキリと軽快な味わいの美山錦を使い、華やかな香りを引き出す酵母を使い、酒造りに対しどこまでも実直な酒蔵が醸す日本酒。そうして醸されたお酒こそ、『オンワード・マルシェ』が考えた“令和”を冠するにふさわしい日本酒であり、「REIWA NOUVEAU」のあり方なのです。