自然そのままの姿でウシが暮らす、牛舎のない牧場

「ウシが幸せかどうか、乳を分けてくれるウシが健康かどうか」――
なかほら牧場の牧場長・中洞正さんの経営は、この一言に集約される。食の安心、安全が重視される昨今「自然のまま、健康で幸せに育った牛のミルクなら、こんな安心なものないでしょう?」と中洞さん。穏やかに笑うその姿から感じられるのは、牛への惜しみない愛情だ。
盛岡駅から車で3時間。北上山系にある標高700m~850mの山間に「なかほら牧場」はある。こんな山奥にある理由は、同牧場が推進する「山地(やまち)酪農」のため。ウシは一年を通してこの山で自由に過ごし、農薬も化学肥料も使わず自然に育つ野シバや木の葉やクマザサを食べて暮らす。24時間365日、牛舎に戻すことなく、ほぼ自然のままに暮らすのだ。そもそも、搾乳小屋はあるが牛舎がない。搾乳をおえた牛は冬も山に帰っていく!。
もちろん自然に任せるのだから、生産を安定させるのはなかなか難しい。飼育数を簡単に増やすこともできない(何しろ、牛を増やすには山の斜面を増やすところからやらなければならない。究極のスロービジネスである)。効率的かどうかといえば、明らかに非効率だ。しかし、のびのびと育ったウシからは健やかなミルクが搾れて、おいしさも抜群。本当の意味で自然なミルクは、一度口にすると忘れられない爽やかさとコクをたたえている。

受け継がれ、広まる山地酪農の技術と心

中洞さんが「山地酪農」に出会ったのは、いまから40年ほど前、東京農業大学農学部在学中。故・猶原恭爾博士の提唱したこの酪農手法に共感し、教えを受けたことがはじまり。
当時隆盛を迎えつつあった工業的畜産手法への抵抗もあったが、それ以上に自然のままの放牧というスタイルに未来を見たのだ。
「血も流れれば、涙も流す。ウシは感受性ある生き物だからね」。
そんな気持ちが世間に通じたのか、ウシの幸せを考える酪農はやがて少しずつ話題を集め始める。いや、むしろ社会風潮が中洞さんの思想に追いついてきた、といえるかもしれない。
現在は14名のスタッフが運営を支えるほか、年間200名以上の研修生が訪れる。中洞さんが伝えたいのは、「山地酪農」のすべて。やがてスタッフが独立して、各地に「山地酪農」の牧場を開くことが何よりもうれしいのだという。

幸せなウシから絞る、おいしい牛乳

なかほら牧場で育つのは、主にジャージー牛。体が小さく乳量も少ない種だが、そのミルクは脂肪分が高く味が良いといわれている。さらに乳脂肪を細かく均質化するホモジナイズ加工を行わず、 “ノンホモ・65度”でじっくり殺菌する低温殺菌というこだわりも。自然に育ったウシのミルクを、なるべく良い状態で商品に。それがおいしさの秘訣というわけだ。
そんなこだわり抜いた牛乳を活かすため、加工品の材料も農薬不使用品・化学成分不使用品だ。ヨーグルトドリンクには、木村秋則さんの“奇跡のリンゴ”や、40年以上も無農薬栽培を続ける地元岩手の山ブドウ。甘みの元は、有機栽培のブルーアガベシロップ。質の良い材料と合わせてこそ、なかほら牧場の健康な牛乳が生きるのだ。
加工品のバリエーションも徐々に増え、知名度も上昇。いまでは有名飲食店のシェフにもファンが多数いる。「一度使うと、他のものには戻れない」という声も耳にした。おいしさのためだけではない。食のプロフェッショナルたちはきっと、中洞さんが「山地酪農」を通して伝える食と健康の大切さ、命の尊さに共感しているのだ。