昭和中期、日本人の誇りたる純米酒をいち早く復活

少し酒の現代史を紐解いてみよう。
日本古来の酒である純米酒は、米と米麹だけで仕込む酒のこと。
戦前までは、すべての日本酒がこの純米酒だった。
しかし戦中、戦後の食糧難の時代、米が高騰し酒の価格も上がる。
やがて庶民は、粗悪だが手頃な闇酒を求めるようになった。
これに焦ったのは当時アルコール専売制を敷いていた政府。
ときの政府はアルコール添加により、闇酒よりも安価な日本酒を造るよう酒蔵に求めた。
こうして酒の中心は通称「アル添」と呼ばれる、米以外のアルコールを添加した酒に移って行くことになる。
ここ『玉乃光酒造』が立ち上がるまでは。
1964年、戦後の混乱が高度経済成長の熱気に置き換えられる頃。
『玉乃光酒造』先々代社長の宇治田福時氏は業界に先駆けて、純米酒の復活を掲げる。
アル添酒に比べて、最大1.8倍もの米が必要となる純米酒。
コストはかさむ。売れる保証もない。
それでも日本の誇りたる純米酒を取り戻すべく厳しい道を歩み始める。

昔ながらの製法を続けることで、変わらぬ味を守る

『玉乃光酒造』の創業は1673年。桃山丘陵を水源とする伏見の伏流水、運河を擁する流通路、京都の熟成された食文化が、この地の酒造りを支えた。
現在の酒蔵は、築100年を優に超える。
酒造りの作業もまた、昔のまま。
じっくり時間をかけた精米と浸水、手作業の酒母造り、風味を引き出す三段仕込み。
道具が変わり効率化されたことはあれども、根本的な作業は同じ。
古い絵巻にある酒造りの工程が、今日も変わらずに繰り返されているのである。
「酒は生きもの」とは13代目に当たる現社長・丸山恒生さんの言葉。
人の手と目と舌を介しながら、丁寧に仕上げることだけが、変わらぬ品質を守る砦なのだ。
340年という長い時の流れも、この酒蔵のなかでは止まって感じられるかもしれない。

守る伝統と、新たな挑戦。どちらも酒造りに欠かせないこと

無論、変わらないことだけがこちらの魅力ではない。
純米酒の復活に見られるように、むしろ挑戦こそが真骨頂だ。たとえば幻の酒米と呼ばれる雄町米の復活は、この酒蔵の主導。
業界全体に大きな影響を及ぼした偉業である。
あるいは純米酒復活から50年かけて達成した、全商品が純米吟醸以上という実績。
米100%の純米酒は、米の作柄によって工程の微調整が必要となる難しさがあるため、同様の蔵元は、全国約1300蔵のうち、わずか5~6蔵だという。
いかに困難な挑戦かが窺えるだろう。
「チャレンジの積み重ねが、やがて伝統になる」と丸山恒生さん。
生産量は5000~6000石。規模でいえば中堅どころだが、常に挑戦を続ける『玉乃光酒造』の姿勢は、業界そして日本酒という文化に偉大なる足跡を残し続けている。