資源に恵まれて独自の進化を遂げてきた富山の蒲鉾

富山には人生の節目に蒲鉾を重用する文化がある。
結婚式、入学式、就職、引越し、還暦祝い……。
おめでたい席には必ず、蒲鉾が並ぶのだ。
そして富山は日本で唯一、板付き蒲鉾の生産がない県でもある。
蒲鉾需要が低いのではない。
逆に人々の生活に身近だからこそ、おなじみの板付きではなく、独自の形に発展を遂げてきたのである。
良質の水と魚に恵まれた地。蒲鉾は、人々の生活と切っても切れない縁があるのだ。
そんな富山県の魚津市に店を構える『河内屋』。
県民に問えば間違いなく三本の指に入る知名度を誇るが、意外にも創業は昭和22年。
もちろん約60年という確かな歴史はあるが、老舗の多いこの業界にあっては最後発の生産者だ。
では、いかにして数多の先達をごぼう抜きにしてトップ集団に躍り出たのだろうか。
それはひとえに、頑固なまでに守り通してきた独自路線にある。

品質第一、手作りにこだわり続けた業界の風雲児

「洋食化が進む昨今、蒲鉾は苦境に立っています」河内肇社長は、そう分析する。
富山だけで20年ほど前は66社あった蒲鉾生産会社が、現在は28社。
全国では2200社から800社ほどに減少している。
そして需要が減れば次に待つのは、価格競争だ。
小売店の店先で手に取ってもらうよう、なるべく低価格を目指す。
しかしこちらは、その勝負には乗らなかった。
新参だからこそ同じ舞台に立たず、独自の路線を貫く。
苦境であってもブレることなく選んだのは、徹底した品質第一主義だった。
「最高の蒲鉾を作り続ければ、きっとどんな世代にも受け入れてもらえるはず」その思いを胸に、最上級のすり身と塩、立山の伏流水を使い蒲鉾を作り続ける。
さらに多品種少量生産という点も良い方へ作用した。
成形機ではなくすべて手作りで仕上げるが故に、あらゆるオーダーに柔軟に対応できる。
新製品も次々に世に送り出せるのも、手作りのメリットだ。
この生真面目な信念が、やがて「河内屋」の名を轟かせる。
そしてその信念は、新たな転機を呼び寄せた。昭和59年の鮨蒲の発売だ。

かつてない発想から生まれた鮨蒲が大ヒット

常に新たな蒲鉾の可能性を探求していた先代社長。
ある日、家族で鮨屋を訪れたときに閃きが生まれた。
「鮨屋の付加価値は、鮨ネタ。ならばこれを蒲鉾でやってみたらどうだろう」それからは試行錯誤の連続。
あらゆる鮨ネタを試し、試作品を作る。
その数は1000種類を越えたというから驚きだ。
そしてついに満足できる商品が完成する。
日本海の豊富な水産資源と守り続けた上質な蒲鉾の品質、そして飽くなき探究心が、鮨ネタを乗せた蒲鉾=鮨蒲として世に出たのだ。
もちろんこれは、たちまち大ヒット。
「河内屋」の名を、ますます世間に知らしめることとなった。
もちろん、ひとつのヒット商品に甘んじる会社ではない。
現社長が経営に入ってからも、社風とも呼べるチャレンジ精神は脈々と受け継がれている。
業界に先駆けたISO認証、先のIT化を睨んだいち早い「kamaboko.co.jp」ドメインの取得、60種にも及ぶ多彩なバリエーション。
名店と呼ばれる現在もなお、時代を切り開く冒険者の心で「河内屋」は走り続けている。