豊かな自然の中で輝く、美しい水田に響くアイガモの元気な声

緑鮮やかな初夏の水田に思わず見惚れていると、どこからともなく、聞こえてくるガーガーガー、元気な鳴き声。姿を探す、こちらに気付いて、『すとう農産』の須藤健さんが、大声で呼びかけてくれた。

「こーい、こいこいこい、こいこいこい、こーい!」

すると、あっちからこっちから、続々と姿を現すアイガモたち。一丁五反ある田に、およそ200羽。「もうすっかり大きくなりました」と健さんも感慨深げだ。「柄のある子はマガモの性質が強く出た個体。逆に真っ白はアヒルの性質が強く出ているんです」と教えてくれた。

アイガモたちの働きによって、スクスクと育つ健康なお米

この水田で、すとう農産が栽培するコシヒカリが「アイガモ栽培米」。田植えを終えた直後にヒナを放飼。害虫や雑草は彼らが食べ、さらに彼らの排泄物は土の栄養に。彼らが踏み、泳ぐことで土は柔らかくなり、彼らが適度に稲の苗に触れることで、それが刺激となり、苗は力強く育つ。これらがアイガモの効果。もちろん、ほかにすとう農産特製の有機肥料で土壌の栄養は補い、アイガモにも別に餌は与えているが、そちらも有機の野菜や商品にならない小米など。農薬や化学肥料は一切使わず作られる健康なお米がアイガモ栽培米なのだ。企画担当で、健さんの妹でもある須藤ボンド亜貴さんが言う。

「兄が母のお腹の中にいる頃、父が模索を始めた栽培法なんです」

ということは、当初から数えれば、すでに40年以上。アイガモ栽培は須藤家のアイデンティティとでも言うべき、家族の誇りなのだ。

身重の妻を思い。時代に逆行してまで貫いた無農薬であること

すとう農産でアイガモ栽培を始めたのは父の久孝さん。須藤家は会津若松で200年以上も米を作り続けてきた家柄だったが、12代目に当たる久孝さんは身重の我が妻が農薬の影響で体調を崩したことを機に、無農薬を模索し始める。最終的なヒントを与えてくれたのは久孝さんの曾祖父、和一郎さんがかつて取り組んでいた稲作だった。

「確か、爺ちゃんは鯉の稚魚を田に放して害虫を駆除していた......」

そこで田に、アイガモを放して飼う無農薬栽培を始めたのだという。

「けれど、当時は効率重視で、無農薬なんて発想すらなかった時代」

周囲の同業者の反発も強く、「害虫が大発生したらどうするんだ!?」と、「苦情はかなりあったようです」と笑って亜貴さんは振り返る。当初は米の質も安定せず、さらにアイガモ自身が稲を荒らすなど、苦労も多かった。しかし、それでも諦めず、根気よく続けてきたからこそ、今がある。久孝さんの考えに時代も、ようやく追い付いた。

「今年も、よく働いてくれました」。そう言って、亜貴さんは田を元気に泳ぐ、アイガモたちを、目を細めながら見詰めていた。